【感想】勉強の哲学、来たるべきバカのために。勉強とは変身である!
1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。哲学/表象文化論を専攻。フランス現代思想の研究と、美術・文学・ファッションなどの批評を連関させて行う。現在は、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生変化の哲学』、『別のしかたで――ツイッター哲学』、訳書にカンタン・メイヤスー『有限性の後で――偶然性の必然性についての試論』(共訳)がある。文春オンラインより引用
以下のようなメッセージから始まります。
勉強とは、これまでの自分を失って、変身することである。だが人はおそらく、変身を恐れるから勉強を恐れている。
本書より引用
勉強とは「変身」であるといわれても
???
ってなりますよね。下記に補足します。
著者曰く、
勉強することで、勉強する前の自分と変わってしまう。
知識が、教養がついてしまう。
そのことで、
周囲との「ノリのずれ」を味わうことになるといいます。
ここで勉強をやめる人、勉強を続ける人に分かれるといいます。
勉強をやめる理由には
周囲とのノリが合わなくなることを恐れることが
一つの原因にあるとも書いてあります。
しかし、
勉強を続けることで
新たにノリが合う人々に出会える可能性も出てくるといいます。
勉強とはある種孤独であり、ある種新たな出会いでもあるのでしょう。
ちなみに、タイトルで使用されている「バカ」とは、変身を続ける者のことです。
また、
第4章の「勉強を有限化する技術」の結びが本書全体に貫通する一説だと思ったので、引用します。
勉強のきりのなさに打ちのめされず、ある程度で、「一応は勉強したことになる」という状態を成立させる。
情報過剰の現代においては、有限化が切実な課題です。
日々、「一応はここまでやった」を積み重ねる。ある仮固定から、新たな仮固定へと進んでいく。それが、勉強を継続するということ。だから、これは極論ですが、勉強は、どの段階でやめてしまっても、それなりに勉強したと言える。
中断による仮固定。
これは、読書について、バイヤール(ピエール・バイヤール。フランスの文学研究者。『読んでいない本について堂々と語る方法』(ちくま学芸文庫、2016)の著者。鈴木注)を参照しつつ行ったことと同じです。目次を読むのだって、拾い読みだって、読書である。そもそも、完璧な通読などありえない-。
同様に、ある分野をマスターしたなんていう「勉強完了」の状態はありえません。(中略)
中断によって、一応の勉強を成り立たせる。
どんな段階にあっても、「それなりに勉強」したのです。完璧はないのです。
しかし、中断の後に、また再開してほしい。中断と再会を繰り返してほしい。
そして、勉強を続けているもの同士の相互信頼に参加してほしい。
勉強を進めるうちに、友が必要になってくるでしょう。友は、教師よりも必要な存在です。
ノリの悪い友と、キモい友と、語りたくなる。
それこそがまさにノリであるノリ、自己目的的なノリを楽しんでいる、来たるべきバカ同士の、互いの奥底の無意味を響かせ合うような、勉強の語り合いへ。本書より引用
※最後から近い部分にある、「ノリの悪い」や「キモい」は、本書では褒め言葉であり、勉強を進めた者への敬称。
中断しつつ、それでも折を見て再開し、さまざまな勉強を横断的に進行させる。
その点と点がつながる瞬間に
勉強の享楽、自分の欲望を見出すことが出来る。
その時こそ、周囲と異なるある種の「バカ」になれる瞬間です。
これこそが、勉強の哲学だと学べる1冊です。
変化しまくって、100万分の1の存在になりましょう!!
100万分の1の存在ってなに??って方にはこちら
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