【感想】司馬遼太郎から学ぶ日本史。坂本龍馬は司馬遼太郎のおかげで有名になった!!
著者紹介
1970年生まれ。歴史学者。(日本近世・近代史・日本社会経済史)。国際日本文化研究センター准教授。単著多数、歴史を扱ったもので10冊以上を数える。(Wikipediaを基に作成)
本書の紹介
数々の歴史小説を著した司馬遼太郎の人生・著作や執筆へ
本書の章立て
第1章 戦国時代は何を生みだしたのか
第2章 幕末という大転換点
第3章 明治の「理想」はいかに実ったか
第4章 「鬼胎の時代」の謎に迫る
終章 二一世紀に生きる私たちへ
司馬遼太郎の執筆背景さっくり解説
司馬遼太郎が生きた1923年から1996年までの72年間
この期間は太平洋戦争も含まれます。
司馬遼太郎自身が太平洋戦争に参加した経験をもとに
なぜ日本が世界と戦
数々の著作からメッセージを送ってきました。
内容紹介
なぜ日本が世界と2度の戦争を起こしてしまったのか
なぜ日本は失敗したのか
なぜ日本陸軍は異常な組織になってしまったのか
という疑問から、その原因を歴史に求めました。
その一つの原因を大日本帝国憲法の制定の背景に指摘しています。
大日本帝国憲法についてですが、
当時のドイツはヨーロッパでは後
進的な国で、市民社会がまだできておらず、君主の権力が非常に強 いものでした。 それが当時の指導者・伊藤博文たちには、日本の国
情によく似合っているように思えたのです。
ヨーロッパという名の憲法国家のブティック(洋服屋さん)に日本が入ってみたようなものです。 その当時、ドイツという服を着て歩
いているのがいちばん華々しく、自分の体にも合いそうでした。 ちょうどいいと、試着室でプロイセン・ ドイツの服を着てみたところ、これがなかなかピッタリでした。天 皇や政府といった頭や上半身の大きな当時の日本の体つきに合って いたのです。
指導者のなかには大隈重信や学者の福沢諭吉のように「イギリスの服のほうがいい」と言い張った人もいました。しかし、伊藤博文た ちは「だめだ」と言って、大隈を政府から追いだし、結局、 ドイツ服を買って帰りました。
そして、天皇の国家がドイツ服を着て大日本帝国を名乗ったのです。ところが、このドイツ服には落とし穴がありました。
この服に合わせた軍隊ブーツ(軍靴)が、なんと一度履いたら死ぬまで踊り続ける「赤い靴」だったのです。
日本は軍事国家になって踊り続け、右足の陸軍、左足の海軍という
足を切り落とされるまで止まらなかったという、恐ろしい結果にな ったというのが、昭和に至るこの国の歴史です。 本文より引用
話は変わりますが、タイトルにもある
その意味を解説します。
司馬遼太郎の功績。
それは、大村益太郎や坂本龍馬といった人物の魅力を「発見」し「
宣揚」した功績に表れている。
実は、現代では広く知られている、明治維新の立役者坂本龍馬は、決して無名の志士ではなかったが、明治に生き残った元勲たちが目 立っていくなかで、ある程度忘れられた存在であったという。 つまり、龍馬は戦後社会で一般的にはそれほど知られた存在ではな かったという。
史料や回想録の多くにあたり、小説を著し、龍馬を国民的英雄に押し上げたのである。
これは、小島法師(琵琶法師)が残した、楠木正成の活躍を描いた「太平記」と同じである。 もともとは河内の国の小さな豪族に過ぎ
なかった楠木正成を、忠義の士として世に送り出したのが「 太平記」である。
歴史というのは、強い浸透力を持つ文章と内容で書かれると、読んだ人間を動かし、次の時代の歴史に影響を及ぼす。
上記の点で、司馬遼太郎も琵琶法師も歴史をつくる歴史家といえる。本書より引用
また
司馬遼太郎は誰よりも文献にあたった作家だといわれています。
最後に
司馬さんは、日本国家が誤りに陥っていくときのパターンを何度も繰り返し示そうとしました。
(中略)
その国の人々が持っている「くせ」「たたずまい」、簡単に言えば「国民性」といったものは、100年や200年単位でそう簡単に 変わるものではありません。
であるならば、20世紀までの日本の歴史と日本人を書いた司馬遼太郎さんを、21世紀を生きる私たちが見つめて、自分の鏡として 備えていくことはとても大切ですし、司馬さんもそれを願って作品 を書いていったはずなのです。 本書より引用
1932年ー1996年。日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「国盗り物語」「坂の上の雲」など、著書多数。(Wikipediaを基に作成)